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たましま歴史百景
たまテレで過去に放送した「たましま歴史百景」のアーカイブスです。
ご覧になりたいコンテンツをクリックして下さい。動画が再生されます。

高梁川の変遷
第62回 2017/07放送
かつての高梁川は上流の土砂の流入や干拓された土地ということがあり暴れ川と呼ばれていました。東西に分かれていた高梁川を酒津で締め切り水路を設けて一本化。18年の歳月をかけ大正14年に完成。私達の暮らしを見守っています。
中国銀行第三代頭取・守分十
第61回 2017/03放送
玉島乙島水溜に生まれた守分十(ひさし)は、昭和21年から31年間の長きに亘って中国銀行の頭取を務め、中銀を全国トップの体質優良バンクに育てると共に、戦後の岡山の経済発展に大きな貢献を果しました。

柳井原ハリストス正教会
第60回 2017/02放送
柳井原の竹林にたたずむ三角屋根の小さな教会。ここは今では中国地方に残る唯一のハリストス教会で、日本人最初のイコン画家山下りんによる作品が4点あります。中でも「復活」はロシアとの目に見える友好の証です。
漢詩人 田邊碧堂
第59回 2016/11放送
玉島長尾に生まれた田邊碧堂は、衆議院議員、日清汽船の役員になり日中友好に尽くしました。晩年は政財界から身を引き、二松学舎などで漢詩を教え「絶句の碧堂」としてその名を残しました。

乙島干拓 坂田貢
第58回 2016/05放送
「こしらえておけば玉島のだれかが使おうが」これは乙島沖に広がる干潟を埋め立て、坂田新開などを開いた坂田貢の言葉です。熱血感でスケールの大きい実業家でしたが理財の念に疎く借金に追われた一生でした。
洋画家・柚木久太
第57回 2016/01放送
風景画の中に独自の世界を築きあげた柚木久太。南画の世界の心を写す「写意」を洋画に取り込み雲を絵の主役に引き上げました。玉島文化クラブの会長として戦後の玉島の文化に貢献しました。

小山冨士夫
第56回 2015/11放送
玉島上成に生まれ、東洋陶磁研究のパイオニアといわれた小山冨士夫。中国河北省での定窯窯跡の発見や、陶芸界の人間国宝の制定、日本六古窯の命名など、日本の陶芸ブームに火をつけました。
藤澤人牛
第55回 2015/06放送
日本画家藤澤人牛は中学の美術教師を務める傍ら日本画を独学。師を持たず、既成の美術団体に所属せず、自由に心の赴くままに作品作りを楽しみ独自の自由な作風を完成しました。

小山祐士
第54回 2015/03放送
劇作家小山祐士は昭和20年玉島に疎開。5年程を過ごし玉島を舞台にした「蟹の町」を始め玉島文化クラブにも顔を出し劇の助言などもしました。
井手訶六
第53回 2015/01放送
「美も善も真もその源を訪ねれば同じく愛である」これは井手訶六を世に送り出した朝日新聞懸賞小説「新しき生へ」の一節です。

自由律俳句の旗手・中塚一碧楼
第52回 2014/09放送
「病めば蒲団のそと冬海の青きを覚え」これは明治20年玉島勇崎に生まれ自由律俳句の旗手として活躍した中塚一碧楼の絶句です。
三市合併
第51回 2014/07放送
昭和42年2月1日、倉敷市、児島市、玉島市の三市が合併。新しい倉敷市として誕生しました。当時、玉島で反対論も多かった合併に到る、経過をご紹介しましょう。

祈りの詩人・河野進
第50回 2014/04放送
昭和5年、玉島伝道所に赴任。平成2年まで玉島で暮らしました。多くの詩集を残し、玉島の「昭和の良寛さま」として広がりつつあります。
画人・白神澹庵
第49回 2014/01放送
笠岡の日本画家・小野竹喬の祖父である白神澹庵は、玉島矢出町の澆花園に30年近く居寓しながら各地を放浪し画業を形成しました。

船穂の画人・小野雲鵬
第48回 2013/12放送
小野雲鵬は京都で絵を学び、帰郷後は在地のまま丹波亀山藩の御用絵師に任じられました。近隣の旧家・仏閣には多くの絵が残されています。
地理教育の改革者・守屋荒美雄
第47回 2013/10放送
帝国書院の創設者・守屋荒美雄は教育者としての実体験から、それまでの地理教育に人文地理を取り入れ、地理教育の改革を図りました。

玉島の金融機関
第46回 2013/09放送
備中一円の経済の中心地であった玉島では、明治になりいち早く金融機関が置かれました。
交通網の発達
第45回 2013/07放送
玉島では明治8年木製の霞橋が掛けられ、明治24年玉島駅が出来、昭和50年新幹線の停車駅として新倉敷駅と改称されました。

柏島神社・海徳寺
第44回 2013/06放送
玉島柏島には四百年の歴史を持つ柏島神社が鎮座。また柏島宮地には五百年前に創建された曹洞宗の馬乗山海徳寺があります。
玉島の茶室文化
第43回 2013/05放送
港で栄えた問屋の主人達は人間関係を築くうえで茶室を大事にしました。今も残る茶室は玉島の文化を知る重要な遺産となっています。

玉島の紡績産業
第42回 2013/04放送
綿花の集散地であった玉島では、明治15年、県下で初の紡績工場・玉島紡績所の操業を開始しました。
万葉調歌人・平賀元義
第41回 2013/03放送
玉島陶で生まれた平賀元義は、後に子規により「万葉調の歌を残したる者、備前の平賀元義一人あるのみ」と称えられました。

玉島の文明開化
第40回 2013/02放送
明治新政府による廃藩置県と市町村制の施行。明治17年発行の「商家繁盛中備の魁」に玉島の文明開化の様子が描かれています。
勤皇の志士・赤松三朴
第39回 2012/11放送
阿賀崎で医者をしていた赤松三朴は水戸の天狗党の残党を秋錦山房に匿い、自らも追われる身となりながら勤皇の志を貫きました。

漂白の画家・池田遥邨
第38回 2012/10放送
日本画家・池田遥邨は昭和62年に文化勲章を受章。倉敷市立美術館への寄贈作品は八千点を数えます。
女流歌人・安原玉樹
第37回 2012/09放送
吉備三大女流歌人の一人・安原玉樹は玉島新町の豪商・中原利左衛門の三女として生まれました。

漢学者・鎌田玄渓
第36回 2012/07放送
閑谷学校の初代校長を務めた鎌田玄渓は幕末の25年間玉島で塾を開き、川田甕江・戸塚文海など多くの門人を送り出しました。
漢学者・横溝藿里
第35回 2012/06放送
阿賀崎西町に生まれた横溝藿里は江戸時代の後期、玉島で初めての漢学塾を開き、玉島の教育文化の礎を築きました。

備中松山藩主・板倉氏
第34回 2012/05放送
江戸幕府が崩壊するまでの124年間、備中松山藩を治めた板倉氏。板倉勝静は幕府老中として徳川慶喜に忠誠を尽くしました。
文人・木村勇退の商法
第33回 2012/02放送
長崎~大阪間を北前船で行き来し、文人でありながら巨万の富を築いた木村勇退。玉島問屋の旦那達は勇退から茶道具を買い入れました。

抽象絵画の先駆者・坂田一男
第32回 2012/01放送
パリで12年間キュビズムや抽象絵画を学び、帰国後も中央画壇に近づかず玉島乙島坂田町のアトリエで孤高の内に造型探求に取り組みました。
戸島神社
第31回 2011/11放送
明治4年、乙島戸島山の養父母宮に八幡山の八幡宮が合祀された戸島神社。戸島神社の「乙島まつり」は倉敷市重要無形民俗文化財です。

長尾百姓一揆・土佐屋の仇討
第30回 2011/09放送
江戸中期に玉島長尾で百姓一揆、また江戸後期には玉島の土佐屋で仇討事件がおきました。
一寸徳兵衛
第29回 2011/04放送
玉島上成の庄屋に生まれた一寸徳兵衛は庄屋が性に合わず浪花に出奔。任侠として知られるようになり「夏祭浪花鑑」のモデルとなりました。

幕末・明治の漢学者 川田 甕江
第28回 2011/04放送
玉島新町の綿問屋に生まれた川田甕江は江戸で遊学の後、備中松山藩に仕官。明治新政府では東京帝国大学教授、明治天皇東宮侍講を務めました。
玉島地名考
第27回 2011/02放送
地名の由来については色々な言い伝えがあり、干拓されて出来た街・玉島には「島」や「崎」のつく名が多く見られます。

備中松山藩士・熊田 恰
第26回 2011/01放送
慶応4年1月22日、西爽亭で自決。自らの命と引き換えに備中松山藩の安泰と部下の命、そして玉島の街を戦禍から守りました。
船穂の寺
第25回 2010/11放送
船穂にある寶満寺・鶏徳寺・高徳寺はいずれも高野山の金剛峰寺を本山とする真言宗の寺です。

薄幸の歌人・木下幸文
第24回 2010/10放送
玉島長尾に生まれた木下幸文は、経済的にも家庭的にも恵まれず、文化文政期の石川啄木とも呼ばれています。
歌僧・澄月
第23回 2010/09放送
玉島に生まれ清滝寺で剃髪を受け、平安和歌四天王の一人と呼ばれた澄月は、古今・新古今の伝統を守り吉備歌壇の発展につくしました。

富田地区の神社
第22回 2010/08放送
玉島の北西部・富田は海が入り込んでいました。海に突き出た岬には富八幡宮・道口八幡宮・神前神社などが建てられました。
日樹上人
第21回 2010/07放送
玉島黒崎に生まれた日樹は日蓮宗大本山池上本門寺第16世になりましたが徳川幕府の要請に対しても信念を貫き信州に流されました。

文人画家・黒田綾山
第20回 2010/06放送
岡山の文人画壇の草分け的な存在・黒田綾山。黒田綾山は玉島山下町に居を構え、岡本豊彦など多くの門人を送りだしました。
西爽亭
第19回 2010/05放送
江戸時代後期、備中松山藩主が玉島を巡回の折、職務を遂行し宿泊する施設として大庄屋柚木家の敷地に建てられました。

富峠
第18回 2010/03放送
玉島~矢掛の生活と文化の交流を支えてきた富の峠道。今は役割を終え石仏や茶屋の跡がひっそりと残っています。
良寛 円通寺修行時代
第17回 2010/02放送
国仙和尚につき21歳の時に円通寺に来た良寛は、円通寺で12年の修行を終え、高方丈で国仙から印可の偈を与えられました。

港町玉島の問屋街
第16回 2009/12放送
問屋の蔵が立ち並ぶ新町通りは、干拓の折に築かれた土手の地盤の強化と町の繁栄を図る為に問屋が誘致され問屋街が作られました。
良寛修行の寺・円通寺
第15回 2009/11放送
良高和尚により元禄11年に再興された円通寺は良寛が修行した寺として名高く、本堂の前には修行僧良寛の像があります。

羽黒神社
第14回 2009/10放送
玉島干拓の成就を祈願し阿弥陀山という海に浮かぶ小さな島に建立された羽黒神社。羽黒神社を基点として玉島の町が作られました。
水谷家三代の栄枯盛衰
第13回 2009/09放送
備中松山城城主として赴任した水谷勝隆、そして二代目の勝宗は玉島の干拓を行いました。

玉島湊
第12回 2009/07放送
元禄期、玉島湊は千石船の帆柱が林立し、白壁の倉庫が立ち並んでいました。
高瀬通し
第11回 2009/06放送
船穂から玉島湊まで全長10kmの高瀬通し。船穂の一の口水門はパナマ運河より240年も前に作られた閘門式運河です。

玉島・船穂の干拓
第10回 2009/05放送
高梁川の河口は土砂が広い洲を作り干拓に都合良くなっていました。
玉島に残る中世の文化財
第09回 2009/04放送
玉島の亀山薬師庵には平安中期作の薬師如来坐像が、玉島中央町の清滝寺には室町時代の白衣観音図が残されています。

戦国時代の城跡(船穂編)
第08回 2009/03放送
高梁川は山陽道の関所の様な役割を持っており、柳井原には梁場山城址。また南山城址には今も掘切等の遺構の跡が見られます。
戦国時代の城跡(玉島編)
第07回 2009/02放送
戦国時代の玉島は、西に毛利氏、東に宇喜田氏、北に尼子氏がいて彼らの勢力抗争の場となり、城や砦の跡がいくつか残っています。

源平水島合戦
第06回 2008/12放送
平家最後の勝ち戦・源平水島合戦は、玉島の乙島側に源氏、柏島側に平家が陣取り壮烈な戦いが繰り広げられました。
記・紀に見る説話の舞台
第05回 2008/11放送
古事記にある吉備の黒姫の屋敷跡は玉島黒崎屋守の黒瀬神社。また日本書紀のミヅチ退治は船穂町柳井原の水別水天宮辺りと伝えられています。

須恵器の里
第04回 2008/10放送
倉敷市の玉島陶には奈良時代に須恵器を焼いていた寒田Ⅲ号窯跡があり、亀山には中世の焼物亀山焼きの窯跡群があります。
玉島船穂の古墳
第03回 2008/09放送
玉島船穂の古墳は海との関わりを持っていた有力者の墓が多く、玉島八島には古墳時代前期の前方後円墳・天王山古墳があります。

玉島の弥生遺跡
第02回 2008/07放送
弥生時代に入って米作りが行われるようになり、小さな集落が分散的に広がっていた富・道口の辺りを中心に弥生遺跡が見つかっています。
玉島船穂の縄文遺跡・貝塚
第01回 2008/06放送
玉島黒崎には中津貝塚、船穂には里木貝塚などがあり、そこから出土した土器は中津式土器また里木Ⅰ式Ⅱ式土器として知られています。


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